かんかん音頭と宗麟原供養塔 / 宮崎県川南町
かんかん音頭は、村上三絃道が曲と振り付けをつけさせていいただき、地元の運動会やお祭りで皆さんに踊っていただいている曲です。
きっかけは、数年前、川南町の多賀小学校の当時の教頭先生(河野多巳枝先生)が民謡研究家の原田解先生へ送った手紙から始まりました。
そのお手紙の一部をご紹介します。(抜粋)
私の勤務しています川南町には、大友宗麟と島津軍の激戦地「宗麟原」があります。また、川南町には古墳はあるものの、史跡というのはこの「宗麟原」だけです。
この「宗麟原」には、島津軍の名将山田新介有信が敵味方の区別なく戦死者を葬ったという供養塔があり、四百年祭りの祈り、「博愛」の記念碑が建てられました。
この供養祭は毎年11月12日に行われ、大分の大友軍の子孫の方もマイクロバスで来られ、参加されています。
私は、川南町に赴任して三年目になりますが、この川南町が大好きで、「博愛」の精神を語り継ぐ「宗麟原供養祭」に共感し、お年寄りで一生懸命に守っていらっしゃる供養祭に感動し、どうにかこの「宗麟原」を応援し、川南町の町起こしのきっかけをつくりたいと思うようになりました。
また、本町の教育長もこの「宗麟原」を町起こしのきっかけにしたいと随分前から願っています。
そこで、私が同封の「かんかん音頭」という歌をつくりました。(下図)
この「かんかん音頭」には、「宗麟原」にまつわる話や要素をすべて入れてみました。
私でメロディーを作って、振り付けをつけて踊ってみたのですが、パッとしません。ところが地元の方々は、とても喜んでくださいました。
私としましては、皆さんが喜んでくださればくださるほど、こんなものではいけないと思いました。皆さんの期待にそうような、町起こしにつながるような唄に仕上げたいという思いが強くなりました。
勇ましく、元気で、覚えやすく、踊りやすい唄と踊りをどうにかして作りたいと切に願っています。そこで、この唄の作曲をしてくださる方と振り付けをつけてくださる方を原田先生にご紹介いただけないかと思い、ご相談のお便りをしたためたというわけです。
(以下、省略)
その後、手紙を受け取った原田先生から村上三絃道へお話があり、教頭先生が作られた歌詞をアレンジし、曲と振りをつけ、「かんかん音頭」が誕生いたしました。
2008年に川南町トロンドームで開催された多賀小学校100周年記念イベントでは、村上三絃道が生徒さんと一緒に「かんかん音頭」を生演奏させていただき、大変盛り上がりました。(100周年イベントの様子)
川南町に伝わる博愛の精神、これからも「かんかん音頭」の調べに乗せて、語りつないでいって欲しいですね。