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【私、頑張ってます!】第64回 師範 村上由宇順

第64回目の登場は、宮崎本部 師範の村上由宇順[ゆうじゅん](本名:篠原順子)さんです。

 

由宇順さんの生まれ故郷、宮崎県都城市は、芸事が盛んな霧島山麓。三味線、太鼓は各家庭にあるのが当たり前で、花嫁修業の一つとしてお稽古事をするのが習わしだった時代もあったようです。

 

そんな地域ですから当然のようにお母さんが弾かれる三味線を聞き、「門前の小僧、習わぬ経を読む」ではないですが、小学校の頃には、「鹿児島ハンヤ節」や「九州炭坑節」などをお姉さんと一緒に弾いていたそうです。ですから、三味線は、生活の一部だったとおっしゃっていました。

 

30代で三味線を習い始めたとのことでしたが、仕事や家事に追われ1〜2年で断念。40代になった頃、ご主人の知人の紹介で村上三絃道に入門。当時、20代でまだ「由宇月」を名乗っておられた頃の二代目家元に師事することになりました。

 

家元のお話によると、由宇順さんは他の方々よりも速いスピードで上達されたとのこと。三味線以外にもゴルフや書道も熱心で、書道では毎日女流展で入賞されたり、ゴルフの腕前はオフィシャルハンデ27と、器用な由宇順さん。

 

そんな由宇順さんの成功法は、外出前に、「津軽じょんがら節」のテープを聞くことだそうです。そうすると「気」が高まり、結果を出すことが出来るようです。「やれば出来る、出来ないのはやらないからだ!と実感しています。私にとって三味線は生きるエネルギーです」と目を輝かせて話して下さいました。

 

ところが、プラス思考の典型のような由宇順さんにとって、大変悲しい出来事もありました。昨年、ご主人に癌が見つかり、ただいま治療中、一生懸命お世話をされていましたが、今度は由宇順さんも癌であることが判明。

 

12月公演の実行委員会発足と同時に村上三絃道会員で組織する一門会が結成され、会長に就任されたばかりでしたから、責任感の強い由宇順さんは相当ショックを受けられたようです。今年のお正月から1日も休まず毎日1時間以上の練習を積み重ね、ボランティア活動にも精を出し、皆のまとめ役として奔走しながら、ご主人の看病をしておられました。そんな毎日でしたから、きっとお疲れが出たのでしょうね。

 

幸いなことに初期の癌とのことですから、「じょんがら節」を聞きながら「気」を高め、しばしゆっくりと静養して下さい。そして、12月の公演は県外からお越しの皆さんを温かく笑顔で迎えていただき、晴れの舞台で素晴らしい演奏をしていただきたいと思います。事務局便りをご覧の皆さまも、由宇順さんの一日も早いご回復を共に祈りましょう。






 

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